成長をあきらめない
医師
大学卒業から呼吸器内科へ
茨城県土浦市生まれで高校は土浦、大学は東京医科大学に進学しました。大学3年生の夏、父が急性心筋梗塞で急死しました。卒業を前に、都内に残るか、茨城に戻るか迷いました。「卒業大学に残るのが良いだろう」と母は言ってくれましたが、異なった環境で臨床力を磨いてみたいと思い、筑波大学附属病院内科レジデントとして研修することになりました。当時の内科研修では、2年間で内科全科をローテーションするシステムでした。呼吸器内科ローテーションで、素晴らしい先輩から指導を受けたことを契機に呼吸器内科への進路を決め、茨城県内の呼吸器内科関連病院で研鑽を積む機会を得ました。レジデント同期との絆も深めることができました。一度は卒業大学に戻って実力を試したいと考え、レジデント6年間修了後、東京医科大学霞ケ浦病院に呼吸器内科医として勤務しました。
総合診療科へ
呼吸器内科専門医として肺癌や気管支喘息などの診療・教育・研究に従事しました。呼吸器内科でも複数領域の課題を抱えている患者さんも多く、広い視点で診療できる分野を学んでみたいと考えました。総合診療黎明期に呼吸器内科から総合診療科にキャリア変更を決断し、総合診療科の立ち上げを行いました。当時、多くの同僚、研修医に恵まれ、情熱を持って、呼吸器や循環器などの臓器別に該当しない内科疾患の初療や入院管理、救急部門の初療、訪問診療など幅広い分野の診療ができました。
方向転換 大学病院からクリニックへ
2019年3月末で25年勤務した東京医科大学茨城医療センターを退職しました。時代の変化や環境に適応するために成長し続けていきたいと考え診療を続けてきましたが、一人総合診療科体制となり、思うような活動ができず、いろいろな意味で、自分らしさと活力を失ってしまうのではないか?と危機を感じたことが大きな契機でした。多くの時間とエネルギーを費やし、何度も迷ったあげく、方向転換を決断しました。20年近く診察してきた患者さん一人一人に退職をお話するたびに、「永い間ありがとうございました。お疲れ様でした。」という言葉を頂き、感謝の念に堪えませんでした。一方、最後まで面倒みられなくて申し訳ないという気持ちも強くありました。2019年4月から筑波大学時代の先輩、同級生が運営するクリニックに移動しました。信頼できる仲間のいる新しい環境で、これまでの経験を生かした内科プライマリケアの診療、呼吸器内科専門領域の診療および訪問診療を行い、地域医療に貢献したいと思っています。
キャリアコーディネーターとして
2014年から地域医療支援センターのキャリアコーディネーターとして、修学生医師や地域枠学生の面談やアドバイスをしてきました。素晴らしい人材が茨城県出身者から輩出され、着実に育ち、県内に定着していると感じます。人材育成に派手さはありませんが、茨城県・筑波大学・臨床研修病院などが一体となって熱心に取り組む姿勢を持ち、明確でわかりやすいメッセージを発信し続けることで、必ずや実を結ぶと信じています。
謙虚に振り返り成長する
医師はある一定の経験を積むと、専門医として診療に自信を持ちます。時に自信が過信に繋がることもあります。そんな時、冷静に自分を見つめ、謙虚な立ち振る舞いをすることが大事だと思います。足りないところは何だろう?どんな行動をすべき?を考え、学びを続け、生涯を通して成長して欲しいと願います。