ドクターズインタビュー

私が考える地域医療の魅力
そして皆さんへのアドバイスとは

筑波大学附属病院 救急・集中治療科 (地域枠修学生出身医師)
長友 一樹   先生

はじめに

私は大阪で生まれましたが育ちは茨城で、2016年に筑波大学医学群医学類を卒業しました。その後、ひたちなか総合病院や水戸、あるいは西南医療センター(猿島郡境町)などで研修をして、現在は筑波大学附属病院の救急・集中治療科で働いています。

ICUでは、現在はCovid-19の患者さんも多いので、ECMOが必要な生死の境にあるような患者さんにも対応しています。また、心臓血管外科の術後患者さんなどもいるので、概ね重症患者の管理を担っています。

それ以外では、ドクターヘリの同乗、ドクターカーでの現場活動をしたり、災害医療の現場に行くこともあります。茨城県にはドクターヘリが概ね2機あり、水戸済生会総合病院と水戸医療センターで運営して、北は北茨城から南は千葉県にかかるくらいまでの範囲で活動しています。

“地域医療とは?”と問われて、皆さんがどう答えるかというのは私自身も興味があるところですが、地域医療には厳密な定義はないと思います。

診療所や訪問診療は一次医療、中核病院は二次医療、そして大学病院などは三次医療を担っていますが、地域医療はどうかというと、そのように厳密に分けられるものではありません。

ですから、今回は私が考える地域医療についてお話しし、将来への参考にしていただきたいと思います。

地域医療が持つ三つの魅力

私は地域医療には三つの魅力があると考えています。

一つ目は、“感謝がダイレクトに伝えられる機会が多い”ということです。

私は救急医をしているので、その現場は混とんとしています。患者さんは突発的に症状がでて、ご家族も予期せぬタイミングで病院に呼ばれ、そんな状況で「今日、亡くなるかもしれません」とか、「助かるとは思いますが、寝たきりになるでしょう」といきなり言われるわけです。

そうした中では、患者さんもご家族も感情の折り合いがつかず、言葉が出てこないことも多々あります。ですから、「先生のお陰で助かりました。ありがとうございます」と言ってもらえる機会はむしろ少なく、必ずしも感謝されない、というのが現実です。

医師を目指す多くの人が、感謝の気落ちが原動力になるのは事実で、私もその一人です。
ただ、感謝される機会が少なく、そうした言葉を聞けない期間が長くなる時に、どうやってモチベーションを保つかというのは結構難しい問題で、高次医療ほど、この問題は大きくなります。

一方、各地にある中核病院は何かあった時の駆け込み寺のような役割が大きいので、治療や処置を施すことで普段から感謝される機会は多くなります。

私も感謝されると嬉しく、次も頑張ろうというモチベーションになるので、やはり感謝がダイレクトに伝えられる環境というのは、長く働くためにとても大事なことだと思います。

二つ目は、“その地域にとっての自分の存在価値が、高次医療機関に比べると大きい”という点です。

大きな病院ほど規模のあるプロジェクトを動かしているので、相対的に個人の裁量権は小さくなる傾向にあります。当然のことですが、自己肯定感という意味では少なからずモチベーションに影響するというのが実感です。

対して、スタッフの数は限られているが患者数は決して少なくない地域の病院だと、一人当たりの仕事量というのはやはり多くなりますが、その分、先述のように感謝の気持ちをしっかり伝えてもらえる機会が増えますし、病院における一人の医師の存在価値はすごく大きくなります。

地域に根差してしっかり働いていくと、やがて地域の消防や救急隊、あるいは行政などにとって、「○○病院の○○先生が窓口になっている」とか、「○○先生がいることによって物事がスムーズに進みます」といったセリフに象徴されるように、地域全体にとってなくてはならない存在になれるというのは、大きな魅力です。

ただ、そのように言われる医師は、決して自分で目指してやってきたわけではないと思います。頑張っているうちに、気づけばそういう立ち位置になっているということで、そういう働き方にも魅力を感じます。

三つ目は、“働き方に対する自分の裁量権が大きい”ということです。

自身は往診の経験はありませんが、私が尊敬している先生方の話を聞いていると、どうやって良い形での看取りを実現するかという視点は大切だと思うのです。
看取りをすると、そこで医療の介入は終わりますが、尊敬するある先生は1週間後に必ずお焼香をあげに行くというのです。

看取って終わりではなく、地域に根差したお医者さんとして、一週間後、あるいは1か月後とかに足を運んでみてあげるとか、そうした地域の方々を常に気に掛けるという関りは大きな病院になればなるほど、なかなか厳しいところがあります。

このように、ある程度自分の裁量権に合わせて、患者さんへの介入度をかなり変えられるということも、やはり大きな魅力に思えます。

英語の勉強、そして医療関係者以外の友人づくりを

学生時代の経験には何一つ無意味なものはないと思いますが、私自身の経験から二つアドバイスしたいと思います。

まずは、英語の勉強です。
ご存じのとおり、医師の世界ではインプットもアウトプットも英語が基本です。英語はあくまでコミュニケーションツールのひとつでしかないので、コミュニケーションの段階で躓いているとアウトプットに大きく影響します。

やはり英語の勉強については、時間を見付けて必ずやっておいた方がいいと思います。

もう一つは、大学時代に医療関係者以外の友人や知人をつくってほしいということです。

私自身は学生時代に他の学部の人たちとも一緒の陸上部にいたので、そんなにコミュニケーションが狭くなっているとは感じていませんが、やはり働いてからできる友人や知人はほとんどが医療関係者です。

医療の現場では、本当に医療関係者としか会話しない1~2カ月が発生します。それはもちろん悪いことではありませんが、そうした狭い交友関係の中で過ごしていると、はたから見て世間知らずと思われてしまうのはやむを得ないことです。

医療関係者の中での会話は、やはりその世界でしか通じないような考え方がメインとなりがちです。しかし、私たちが診ている患者さんは医療関係者ではありません。
私たちは医療関係者ではない人たちをいわば商売の相手にしているのに、プライベートであっても話すのは関係者ばかり、というのが現実です。

結果、ものすごく狭いコミュニティーで過ごしていることで生まれる歪みというものが、診療の考え方や態度など、随所に現れてしまうというのを痛感します。

また、私たち医療関係者は、比較的恵まれた環境で育ってきた人が多いというのも自覚しておかないといけないと思います。一方で、患者さんの中には子供の頃に餓死しそうになったという経験や、親からひどい虐待を受けて義務教育にすら通わせてもらえなかったという人もいるでしょう。

しかし、私たちはそうした経験のある人たちとも分け隔てなく接しなくてはいけません。

現場を経験して、やはり医療以外の視点はものすごく大切だと感じることがしばしばあります。
ですから、学生のうちにバイト先でも部活でも何でもいいので、医療関係者以外の友人はなるべく多く作っておいた方がいいと思います。

医者の本分は、傲慢にならず“人を診る”こと

最後に、医師としての心構えについてですが、私は医師となってまだ6年目(2022年3月現在)なので、私自身が気を付けていることを3点お話しします。

一つは、“傲慢にならない”ということです。
誰も傲慢になりたくてなっているわけではありませんが、やはり私たちは独善的な考えになりがちです。

患者さんにとって病気は人生のほんの一部分でしかなく、さっさと治して人生のメインに戻りたいと思っていますが、医者は病気を治すために他のことは我慢しましょう、という考え方になりがちです。

病気は治ったが、仕事は辞めることになったとか歩けないようになったというのは、結局、患者さん自身が望んだ結果ではありません。
患者さんは元気に働けるように病気を治してほしかったり、元通りに歩けるように治療してほしかったりと、そもそもの目的が病気を治すことではないということを肝に銘じておくべきです。

その認識に食い違いがあると結構不幸な治療になることが多いので、これは常々自分にも言い聞かせているところです。

二つ目は、“自分が他人からどう見られているか”ということです。

医者になった時、研修医であっても医者は医者として見られているので気を付けるように、と先輩から口酸っぱく言われると思います。しかし、初めは私もピンときませんでした。
ただ、ふとしたことで“医者として見られているんだな”と思うことが結構ありました。

私たちは白衣の上から“医者”という肩書を着ているわけですが、そういう風に見られていると常々意識しておかないと、ぽろっと口が滑ったり態度に出たりして、大きな問題の原因となりかねません。

これは傲慢にならないということにも通じますが、すごく意識していないと、プロフェッショナリズムを損なうような行動につながる可能性が高まるのです。

三つ目は、“病気ではなく人を診ましょう”ということ。

これも一つ目の話に通じますが、患者さんを診るというのは、患者さんの人生を診るべきだということです。

病気なったことは患者さんにとって大きな出来事ですが、長い人生の中の一つでしかありません。たまたま病気になってしまって、私たちはその出来事の一時的な立会人でしかないのです。

もちろん、人生の中で病気がどれくらいのウェイトを占めているかという問題はありますが、先述のとおり、患者さんはそれを乗り越えて元の人生に戻らないといけないのです。
独善的な治療をしてはいけないというのもそうですが、病気だけに集中してしまうと、時として相手が人間であることを忘れる危険性があります。

私のように集中治療をやっている人間は特に戒めないといけないと思っていることですが、人工呼吸器を付けられて人工心肺も回っているような状況では、ある意味、人らしさはかなり失われているのが現実です。
よく自分の親を診るように患者さんを診ろと言われますが、そんな状態の人に対して心無い言葉をかけているのをご家族が見たらどう思うか、という想像は常に必要です。

病気を治しているんだからいいだろうではなくて、相手は人間であることを常々意識するべきだということです。

最後に

私自身、今は高次医療を担っているので地域医療とは距離を置いていますが、地域医療自体はとても魅力的だと思っています。
それに従事している医師と高次医療に従事している医師に価値の違いがあるというものでもありません。

そもそも、地域医療に従事している先生方は私たちよりもはるかに知識も経験もあるのに、信念に従って地域の一次医療を支えているということは、すごく価値あることだと思っています。

こうした私の話を通じて、自分にとって地域医療が何を指すのかということを今一度よく考えてほしいと思いますし、両者を擦り合わせてもらうことで、何か参考になる点があれば幸いです。

皆さんと一緒に働ける日を楽しみにしています。